今まで、私が観る展覧会や美術展は、自分にとっては勉強の意味があった。
本やテレビで学ぶより、ナマの本物を観て、じかに感じるほうが、
臨場感あふれ、リアリティがあるから手っ取り早い。
ゴルフの打ちっぱなしの練習をあまりせず、
いきなりグリーンを回るようなものか?(ちょっと違う?)

ゲンブツを観たあと、その後に書物や映像などで、復習のような気持ちで、
おさらいすることも自分には有益だと思っている。



東本願寺は、1602年に建てられたが、4度の火災に遭い、1895年に再建され現在の姿になった。
そのお宝。
丸山応挙や狩野元信、棟方志功など、ダイナミックな肉筆襖絵を主にした展覧だった。
作品そのものは、棟方志功以外は明治時代のものが多く、
近世ではあるが、題材やモチーフは古来のもの。(中国も含む)
作品だけ見ていると、もっともっと昔のものであるように感じた。
小さいときから家でよく目にしている、日常の風景の一部である、
屏風、掛け軸、襖とダブり、どうも新鮮なかんじがしなかった。刺激に欠ける。
もちろん、民衆の手にあるものと、一流芸術家の作品は、全く違うものであるが、
モチーフや、描かれた時代の共通性は相通じるものがある。
同じ時代の空気を肌で感じる。というか、馴染んでしまう。



しかしながら???今更???というかんじ。
京都人が、外国人の京都フィーバーを見て、不思議な気がするとの同じような感覚だろうか。
私は、日本文化、日本美術は、特別の思い入れがない。
特に、ああいった、明治時代のもの、年代を経た劣化ぶり(いい味)が、
まさに幼少の折から慣れ親しんでいるもの、そのまま。
とは言うものの、懐かしいというものでもない。どうも近すぎて、緊張感がない。
幼馴染(おさななじみ)と婚約するようなものか?(ちょっと違う?)
なので、自分の原体験の中にない、ヨーロッパの石の建物などを見ると感動する。
かといって、日本文化を軽んじる気持ちは、全くない。

東本願寺が、時代の中で重要な役割を果たしていたことを示す史料も展示されていた。
徳川慶喜の書簡は、貴重な幕末史料として大変興味深かった。
彼は、男前の結構イイ男で、書道もお上手なので、感心、感心。
大政奉還は、日本の歴史上、大きな節目、大切な時期である。
ペリーさんの顔を想像した。
黒船にやってきた当時、幕府はどんな大騒ぎだったのだろう。
書簡は虫食いのあるものもあったが、キレイなままで保管されているものもあった。
まるで、今、現在、書かれたかのように。

近世JAPANの文化、芸術に触れ、自分にとっては特別のものでない
まさに血や肉の一部のようになっていることに、改めて気付いた。